森博嗣「『やりがいのある仕事』という幻想」 書評
今回は森博嗣さんの「『やりがいのある仕事』という幻想」を紹介していきます!
本書では、作家・工学博士として活躍する森博嗣さんの人生観や仕事観について書かれています。
「なんで就職しなければならないんだろう...」
「なんで毎日したくもない仕事をしなければならないんだろう…」
そんなモヤモヤした想いを抱えてはいるものの、見栄や安定のためにしたくもない仕事をやめられない人は沢山います。
「やりがいのある仕事という幻想」は自分の人生、仕事との付き合い方に悩む現代人にオススメな一冊。
「やりがいのある仕事」をオススメしたい人
・就職・就活前の大学生
・今の働き方に漠然とした不満をもっている社会人
めっちゃ忙しい人の為の「やりがいのある仕事という幻想」
・人は働くために生きているのではない
・職業に貴賤はない
・仕事というものは、今どんな服を着ているのか、というのと同じくらい人間の本質ではない
・権力とは個人の力ではなく、その組織におけるルール上の権限
・もし、一生食うに困らない金が既にあるならば、働く必要などない
・人間の価値は、自分で自分をどれだけ幸せにできるか
・皆が行きたがる会社、業種を自分も好きだと思い込む若者が多い
・その時人気のある業種・会社はこれから悪くなる
・皆にうらやましがられたいという考えより、自分で本当に良いと思うものを信じる
・投資が必要ない仕事は、年齢を重ねても賃金が上がらない
・勉強に身を置く時間=人間にとって最も価値ある投資
・仕事を選ぶ時は、「どのくらい続けるのか」を意識する
・自分にとってどうなることが成功なのかを考える
人は働くために生きているのではない
作者が本書の中で繰り返し述べる仕事観の第一原理は「人は働くために生きているのではない」という事。
「仕事の為の人生」を送っている人は少なくありません。
特に週の大半を会社で過ごすサラリーマンの多くにとって、1週間は「5日間の労働と2日間の(仕事の為の)チャージ期間」という認識になっているのではないでしょうか。
僕も会社勤めの頃は
地獄のような月曜~金曜
↓
一週間分のストレスを発散する華金
一週間分寝だめをして疲れを癒す土曜日
↓
月曜の襲来に怯え布団にくるまりガクブルする日曜日
という一週間でした。
多くの社畜が感染するという「サザエさん症候群」というものがありますが、もれなく僕もその患者の一人。
日曜の終わりと地獄の一週間の訪れを示唆するサザエさんのエンディングを聞くだけで身の毛もよだつような恐怖を感じるようになるんですよね。
さすがは国民的ホラーアニメです。
就職したての頃は「社畜にはならんぞ!」、「プライベートも大事にしてやる!」と息巻いていた僕ですがそんなこんなで気付けば仕事の為に生きる社畜になっていました。
しかし著者は言います。
「そもそも、就職しなければならない、というのも幻想だ。人は働くために生まれてきたのではない。どちらかというと、働かない方が良い状態だ。働かない方が楽しいし、健康的だ。あらゆる面において、働かない方が人間的だと言える。(中略)したがって、もし一生食うに困らない金が既にあるならば、働く必要などない。」
いやマジか。働かなくていいんか。
大学を出たら会社に就職して、定年まで働くのが人生の正解だと思っている人は少なくないのではないでしょうか。
僕もそう思っていました。
「社畜にはならん!」と思ってはいてもいつの間にか会社の為の1週間になり1ヶ月になり、人生が仕事中心になってしまう。
やりたくもない仕事に忙殺される人生にコレジャナイ感を感じつつも、「会社から必要とされる自分」にどこか満足感を感じてしまう。
仕事内容や仕事との関係性こそが、自分の価値を決めるものだと思い込んでしまうようになるのです。
しかし筆者はそんな考え方に苦言を呈しています。
「本章で述べたかったことは、仕事で人間の価値が決まるのではない、という一点だ。
(中略) つまりは、自分がどれだけ納得できるか、自分で自分をどこまで幸せにできるか、ということが、その人の価値だ。その価値というのは、自分で評価すれば良い。」
就活中、「とりあえず金融か広告に入っとけばグレードの高い人間になるやろww」
と思っていた自分に1000回程聞かせてあげたい言葉。
日本では(日本以外でもあるかもしれませんが)、自分が如何に社畜であるかを語る「社畜自慢」というものがあります。
本来到底誇れることではない「社畜であること」が何故自慢になってしまうのかというと、筆者の言うように「仕事=その人の価値」であると思いこんでいる人が多いからではないでしょうか。
社畜は会社に労働力と時間を提供すれば誰でもなることができます。
社畜になることは心身の消耗というデメリットがある一方、「会社に必要とされている自分」という心地よさを感じある事ができます。
今まで特にスキルを磨いてこなかった人間にとって、社畜であることは自己肯定感を高めて満足感を得る一種の麻薬ともいえるのではないかと僕は思います。
しかし自分の価値は他人でも仕事ではなく、「自分をどこまで幸せにできるか」で決まると筆者は考えます。
考えてみれば当然なんですけど、仕事と人間的価値って全く関係がないんですよね。
仕事は金を稼ぐ手段にしかすぎず、何を選ぶかも自由。
稼ぎたい人は高収入の仕事を選べばいいし、最低限の収入で良い人はフリーターでも言いわけです。
しかし「フリーターは半人前」、「専業主婦は怠惰」など職業で人を計る風潮は根強い。
そんな周りの幻想に流され、自分の幸せを見失っては本末転倒ですよね。
「やりがい」は自分で育てるもの
本著の最終章では、「人生のやりがいがどこにあるか」というテーマを扱っています。
仕事や人生にやりがいを求めている人は少なくないのでしょうか。
実際に求人広告には「やりがいのある仕事です!」などと、そして求職者は「やりがいのある仕事がしたい!」とアピールするわけです。
定年退職した人が、それまでやりがいを感じていた仕事を失い、引きこもりになってしまったという話もよく聞きますよね。
どうやら人間は「やりがい」がないと生きられない、そしてそのやりがいがある場所を探しているようです。
しかし筆者はこう述べています。
「繰り返して言うが、人生のやりがい、人生の楽しみというものは、人から与えられるものではない。どこかに既にあるものでもない。自分でつくるもの、育てるものだ」
「そう、やりがいとか楽しみというものは、えてしてこのように他者から妨害される。(中略)でも、自分はやりたくてしかたがない。このときに受ける『抵抗感』こそが『やりがい』である。その困難さを乗り越えることこそ、『楽しみ』の本質だと僕は思う。」
寝食を忘れる程何かに没頭した経験を、誰でも一回は持っているものです。
僕も中高生の頃は寝る間を惜しんでFFやドラクエを進めて母親からガチギレされた経験があります。
学業や仕事に支障が出るほど何かにのめり込んで周囲から批判される事は珍しいことではありません。
しかし、その批判を乗り越えてでも楽しんでやる!という抵抗感こそがやりがいの正体。
どこかに既に容易されているやりがいを探すのではなく、自分で作り、育てるものだと筆者は語っています。
人の羨む人生=幸せではない
筆者は、現代人の多くは「他人の目」、「周囲の評価」を気にしすぎるが為に幸せな人生から遠ざかっているのだと主張しています。
「人気のある会社に就職し、人も羨む美形と結婚し、絵に描いたような家庭を築き、マイホームを購入して、という生活を送っている人でも、人生のやりがいを見つけられない人が沢山いる。(中略)その『人も羨む人生』に縛られて、自分がやりたいことを遠ざけてしまった結果と言える。」
多くの人が周囲の一時的な評価を得たいが為に「人の羨む人生」を自分の幸せだと思い込み、そこに金や労力をつぎ込む。
「親が望むから」、「友達に自慢できるから」という理由で有名大学を志望し、見栄えのいい彼女(ハイスぺ彼氏)と付き合う。
他人が羨む人生を手に入れる事に全てをつぎ込んだ結果、それは自分が望む幸せとは程遠かった…ということもあり得るわけです。
本当に幸せな人生を送りたいのであれば、
「自分にとって何が幸せか」
「自分にとってどうなることが成功か」
という価値観をしっかり自分の中にもっておくことが大事。
まとめ
筆者は本書で一貫して
「人に流されず自分の価値観/評価基準をもつ」ことの大切さを説いています。
人の目を気にして仕事を選んでいないか?
人の目を気にして付き合うパートナーを選んでいないか?
人から「いいね」をもらう為に自分の人生を消耗してしまう人は少なくない現代人におすすめの一冊。
ここで紹介したのは本当にごく一部の内容なので、気になった方は是非読んでみてください!